40期山本恭子様より世田谷トラストの市民緑地『いらか道』の紹介です!
こんにちは。40期の山本です。これまでは砧公園の花を紹介してきましたが、今回は私がボランティアをしている世田谷トラストの市民緑地「いらか道」を紹介します。市民緑地とは、オーナーがトラストに管理を委託している緑地のことです。もとはオーナーのお庭だったので、公園と違い、ブルーベリー、ブドウ、ユズ、ビワなど果樹も植えてあります。昨年は、世田谷福祉作業所の方と一緒にユズを収穫しました。作業所ではユズケーキ、ユズクッキーを作り地域の方々に販売しました。市民緑地ボランティアと福祉作業所とのコラボが成立したのです。
さて今年7/1にアジサイ剪定講習会を予定しましたが、残念ながら雨のため中止となりました。ここにはいろいろな色や形のアジサイがあるのでヘタな写真ながらお見せします。
写真の下の方のピンクのアジサイの名を調べてみると「ダンスパーティー」というアジサイに似ていました。「ダンスパーティ」は基本的にはピンク系統の花を咲かせる品種ですが、墨田の花火(基本は白・うっすらした青)の色違いと説明されることもあるようです。
写真1番上の「城ヶ崎」とは、東伊豆の城ヶ崎海岸で発見された自生種で、多くのアジサイの交配親となっているようです。2番目の「ウズアジサイ」は「オタフクアジサイ」とも呼ばれ、萼片が内側に丸まって渦を巻くようにみえます。きれいなピンク色や青紫色のものもあります。病気にかかったアジサイを改良した変異種だそうです。ここで紹介した以外に「墨田の花火」らしいアジサイもありましたが、写真を撮った時にはもう終わってました。
「七段花」
ところでオランダの医師・博物学者シーボルトは日本のアジサイの新種に「おタキさん」にちなんで「Hydrangea otakusa」と命名しましたが、これはすでにカール・ツンベルクによって記載されていたものと同種で植物学上有効名ではないそうです。シーボルトが日本植物誌で紹介したものの誰も見た者がおらず、幻の紫陽花と言われ、130年後の昭和34年に六甲山中で実物が確認されたそうです。花は青色で落花までに薄紅、濃紫、藍色などに変化することもあるそうです。「ダンスパーティ」に似ていますね。
―紫陽花を詠んだ詩―
大正時代に近代詩の新しい地平を拓き、「日本近代詩の父」と称される萩原朔太郎は、自分の心をアジサイにたとえました。ちょっと寂しい詩です。群馬県前橋ではこの詩にちなんで「朔太郎紫陽花フェスティバル」を開催しているそうです。
こころ < 「純情小曲集」より >
こころをばなににたとへん
こころはあぢさゐの花
ももいろに咲く日はあれど
うすむらさきの思ひ出ばかりはせんなくて。
こころはまた夕闇の園生のふきあげ
音なき音のあゆむひびきに
こころはひとつによりて悲しめども
かなしめどもあるかひなしや
ああこのこころをばなににたとへん。
こころは二人の旅びと
されど道づれのたえて物言ふことなければ
わがこころはいつもかくさびしきなり。
36期の蓑田です。市民緑地でのボランティア活動として、果樹や花木が豊かで四季が楽しめそうな世田谷トラスト市民緑地『いらか道』での活動状況、そこに咲くアジサイ、そして後段は萩原朔太郎(1886-1942)作「こころ」という自身の心をアジサイにたとえた詩のご紹介がありました。私はこの萩原朔太郎の詩を何度か読み返していると、高田敏子(1914~1989)の「あじさいの花」という詩がよぎりました。高田敏子は、萩原朔太郎と終生親交をもつ室生犀星(1889-1962)の詩人賞を受賞した“主婦の詩人”と称された方です。この詩は合唱や吟詠をされている方々には結構歌われています。
あじさいの花 高田敏子作
あじさいの花は 散ることをしない
雨の日を 咲きつづけ 秋風の中を 咲きつづけ
咲きつづける心を そのまま残して 枯れてゆく
散る花より あわれな さびしさ
ひとりの人を 想いつづける心に にている
アジサイは数えきれないほどのたくさんの種類が有り、色もいろいろ、形もいろいろ、うっとおしい梅雨時に楽しませてくれるアジサイ。でも繊細な感情を持つ詩人からすると、アジサイを観る視点に違いは有っても、男心にも女心にも一抹の寂しさを感じさせるアジサイ。コロナを忘れ思い巡らすひと時をいただきました。有難うございました。